【人助けたら我が身助かる】生きる意味がない人間なんて、この世にいるはずないから

生きる意味がない人間なんて1人もいない、ということだけは強く強く主張させてください|#元の理

信仰エッセイ

こんにちは!『今日も信仰は続く』を見ていただいてありがとうございます。桑原信司(@shin0329)です。

信ちゃん
信ちゃん

気軽に信ちゃん、って覚えてくれたら嬉しいな~!

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「生きる意味がない人間なんて一人もいない」

僕は、本当にこう思っています。もちろん、綺麗ごとや理想論を語っているわけではありません。僕の信仰している神様が、ハッキリとそう教えて下さっているから、それを心から信じているという話です。

最近では、芸能人でも自殺を選ぶ人が増えてきましたよね。誰もが羨むような暮らしをしていても「生きづらさ」を感じている人がいるということは、もはや誰にとっても「自殺」は他人事ではありません。

きっと、今も生きるか死ぬかの選択肢で揺らいでいる人も多いでしょう。悩みの多い人生に疲れたという人もいるでしょう。

…ちょっとだけ、そう、ちょっとだけ待ってほしい。

「僕たちは、なんのために生まれたのか?」

この考えれば考えるほどにわからなくなる難しい問いかけに、僕がハッキリと答えてみせますから。

それが参考になるかどうかはわかりませんが、今日はその「生きる意味」について、少しだけお話させてください。

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「生きる意味がわからない」

「生きる意味が、わからなくなりました」

「死にたいです」

当WEBマガジンのお悩み相談メールフォームや、僕のTwitterアカウントにも、こういったDMが寄せらることがあります。

ただでさえ社会情勢が不安定な今の時代、若い人たちを中心に「どうしても未来に希望を見いだせない人」が増えているのを、僕も肌で感じています。

ましてや、さらに人間関係の悩みまで抱えている人にとっては、いよいよ「生きている意味がわかりません」となるのも仕方がないのかもしれません。

けど、そんな時代だからこそ「自身の信仰している宗教に、その答えを求める」ことの力強さを語りたいんです。僕自身、そうやってたくさんの過去を乗り越えてきましたから。

もちろん信じる、信じないは自由なんですけど、単純に、僕と同じように救われる人がいればいいなと。

天理教が説く「生きる意味」

僕らが生きているこの世界には、たくさんの宗教や思想があって、それぞれが死後の世界を定義しています。しかし、そのどれが正しいかなんて、実際のところは誰も確かめることができません。

それでも、僕が信仰している天理教の神様が説いた「人間の生きる意味」は、本当にそうであってほしいな…!と心から思えるものだったんですよね。

さて、前置きが長くなってすみません。本題に入ります。

僕たちは、なんのために生きているのか?

その答えは「誰かの役に立ったり、誰かに喜んでもらうため」です。さらに詳しく説明していきます。

「元の理」で明かされているもの

僕が信仰している天理教には、「もとの理」と教えられる神話があります。

天理教では、「元の理」という話の中で、人間は何のために、だれによって、いつ、どこで、どのようにつくられたかが明示されています。

「元の理」の話は、「元初もとはじまりの話」とも呼ばれるように、人間創造の説話を通して、人間存在の根本原理を明かされたものです。

元の理 | 天理教公式HP

これはギリシャ神話や古事記のようないにしえの神々の物語ではなく、江戸時代の庶民たちにも理解できるように抽象化されて説かれた「この世の根本原理」のお話です。

(そのためか、かなり難解な内容になっています。腕に自信のある解読班は、ぜひこちらのリンクから全文をチェックしてみてください!w )

この「元の理」の冒頭には、僕たち人間が生きる理由としてこのように述べられています。

この元始もとはじまりは、どろうみであった。月日親神つきひおやがみは、この混沌こんとんたるさま味気あじけなく思召おぼしめし、人間にんげんつくり、その陽気ようきぐらしをするのをて、ともにたのしもうとおもいつかれた。

『天理教 教典』第三章 元の理より引用

この「陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれた」という部分こそ、僕たち人間の存在理由になります。

僕らは、陽気ぐらしをするために生きている

この「陽気ぐらし」というのは、めちゃくちゃザックリ説明すると「国籍や肌の色など関係なく、人と人とが仲良くたすけ合って暮らす社会」のことです。

これは天国や極楽浄土といった「あの世の楽園」へ行くために生きているのではなく、あくまで「現実世界」をより良いものにしていこうというもの。

そのため、天理教では「死後の世界」を説きません。亡くなった人はいずれまた、生まれ変わってまたこの世に返ってくると説いています。

ですからもちろん、自殺した人は成仏できないとか、天国へ行けないといったような話もしません。必ず生まれ変わります。

ただ、だからといって安易に「人生をリセットできる」とは捉えないでくださいね。周囲の人を悲しませた事実は、来世にも影響を及ぼすとも教えられていますから。

大切なことは、たとえ今がどれだけ辛くても、悲しみにすべてを飲み込まれないことです。

大丈夫です。僕もついていますから。

人助けたら我が身助かる

僕たちの生きる意味、それは「陽気ぐらしの輪をこの世に広げていく」こと。

でもこれだとあまりにもスケールが大きくて、具体的にはどうすればいいかわからないんですよね(笑)

だからこそ、僕らが陽気ぐらしの世界へ向かうための第一歩として、次のような教えが説かれました。

わかるよふむねのうちよりしやんせよ

人たすけたらわがみたすかる

『おふでさき』第3号 47

人を助けることによって、自分も助かっていく。そのことが理解できるまでしっかり考えてみなさい、という意味のこの教え。

普通なら、自分がつらい思いをしているときは、だれかに助けてもらいたいと思いますよね?

けど、天理教の神様は「そんなときこそ、人を助けなさい」と説かれました。なぜなら、それこそが僕たちの命の意味を、なによりも満たしていく生き方だから。

そして、そんなふうに生きていくことで、あなた自身も「必ず救われるから」です。

あなたの命も、きっと輝く

自分が「幸せになりたい」と願うのではなく、自分以外の人を「たすけてあげたい」という心でいることを大切にする。

僕は天理教の教えを一言でお伝えするときは、このようにお答えしています。

これこそが神様が人間に込められた願いであり、僕たち人間の「あるべき姿」でもあるからです。

そして、冒頭にお話したように、僕はこの教えを心から信じています。だから自信をもって語ることができます。

「生きる意味がない人間なんて一人もいない」と。僕らはどんなときでも、たすけあって暮らしていける生き物ですから。

お悩み相談はこちらから

というわけで、『今日も信仰は続く』では、皆さんからのお悩み相談もドシドシ受け付けています。人生の悩みや天理教に関するご質問などがありましたら、こちらからメッセージを下さいね。

それがあなたにとって「たすかり」になるのなら、それは天理教を信仰している僕にとっての、「あるべき姿」なので。

信ちゃん
信ちゃん

お待ちしてますね~!

それではまた、次の記事でお会いしましょう。信ちゃん(@shin0329)でした!

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