天理教を信仰している僕から、自殺を考えている方へのメッセージ

生きる意味のない人間なんて1人もいない、ということだけは強く強く主張させてください|元の理

信仰のある暮らし

こんにちは!『今日も信仰は続く』を見ていただいてありがとうございます。桑原信司(@shin0329)です。

信ちゃん
信ちゃん

気軽に信ちゃん、って覚えてくれたら嬉しいな~!

人は、様々なきっかけで生きる意味について考え、悩むようになります。

それは大切な人を亡くした日や、家庭環境の複雑さに涙を流す日とか。学校や職場で孤独を感じた日にも考えてしまうかもしれません。

もちろん、きっかけや感じ方は人それぞれ。そこに他人の価値観を持ち込むのは意味のないことだから「そんなことで悩んでるの?」なんて僕は絶対に言いたくない。

笑っちゃうくらいの小さな悩みならともかく、「受け止める」ことをはじめから否定する人間でいたくないと強く思います。

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平和ってなんだろうね

なんでこんなことを言い出したのかというと、2019年5月4日、GWで賑わう大阪の大丸梅田ビルで飛び降り自殺をした女子高生がSNSを中心に話題になっているのを知って、大きな虚しさを感じたから。

Twitterや大手ニュースサイトにはさまざまな角度から撮られた写真や動画がアップされていて、それはどれだけ多くのスマートフォンが彼女に向けられていたかを物語っているようで。本当に残念でした。

世界的に見ても豊かで平和な国であるこの日本で、「死にたい」と考えるまで心が疲弊した彼女を迎えたのは、「なんとかして助けてあげたい」という勇気でなく、「どんな結果になるのか、記録に残しておきたい」という興味だったことが。

戦争を乗り越えて、日本を平和な世界にしようと尽力された先人には申し訳ないですが、平和ってこんなもんか、と思いました。

この世から戦争が無くなったところで、今日も誰かがこの世に絶望して、その中の誰かが死を選び、その中の誰かが実行してしまう。そこには多くのスマートフォンが向けられて、収めた写真や動画は世間の注目を浴びて、数日後には忘れられていく。そしてまた…。

こんな寂しいことってありますか? 僕は天理教の信仰者として、この平和なだけの世界は必ず乗り越えて、陽気な世界に到達するまで尽力しなければ、と思っています。

生きる意味について

「死にたい」とすら思ってしまうような経験したことがない人でも、人生のうちで1回くらいは、生きる意味について考えさせられる日があるのではないでしょうか。

僕も何度か悩んだことがあります。その時は偉人の言葉を調べたり、生きる意味を歌った曲なんかを探して聴いた事がありますが、どれも深いなぁとは思うものの、心の底から共感できる言葉はありませんでした。

やがて答えが出ない悩みはいつしか思考の外側へと押しやられていき、考えることも少なくなりました。充実していて多忙でしたし、それはある意味幸運だったのかもしれません。

しかし25歳の冬、僕は交通事故で命にかかわる大ケガをして、今までで一番真剣に「生きる意味」を考えることになったのでした。

ベッドの上で問いかけた日々

病院で目が覚めて、自身のケガの大きさにショックを受ける中、ふと頭をよぎったのは「元通りの身体に戻れるの?」という不安でした。

医師に聞いても「顔の傷は一生残る」「右足はどうかな…良くはなると思いますが」という喜べない答え。いつしかその不安は絶望と言ってもいいくらい大きく膨らんで、耐えきれなくなったとき、ついに思ってしまいました。

いっそ死んでしまった方が、楽だったんじゃないか

思えば、あの時の僕は生きる意味を見失いかけていたのだと思います。

事故の直前までは健康そのもので、仕事も遊びもそれなりに充実していましたから、その落差に耐え切れなかったのかもしれません。2016年に公開され大ヒットした映画『世界一キライなあなたに』の主人公ルーの恋人、ウィルの心情が、少しだけわかったような。

映画 『世界一キライなあなたに』オンライン特別予告【HD】2016年10月1日公開

しかし、そんな僕を優しく否定してくれたのも信仰でした。

天理教が主張する「生きる意味」

天理教において生きる意味は「人は人と仲良くたすけ合うために生かされている」と説かれています。それは人種国籍も問わない、すべての人間にとっての生きる意味。

この教えの根拠は、神様が「なぜ人間を創造したのか」について伝えられた、天理教の神話ともいえる『元の理』の最初の1文にハッキリと書かれています。

この世の元初まりは、泥海であった。月日親神は、この混沌たる様を味気なく思召し、人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれた。

「第三章 元の理」『天理教教典』25頁 参照

この世はもともと泥の海のような混沌(カオス)とした世界に神様がいただけで、何の楽しみもない世界でした。そこで神様はわが子として人間を創造し、その人間たちが陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しみたいと思いつかれました。

つまり、人間の親子がそうであるように、子供である人間が仲良くたすけ合って楽しそうに暮らしている様子こそ、親である神様にとっても楽しく嬉しい瞬間なのだという教え。

それが、そのまま人間の生きる意味になっているということです。

僕の「生きる意味」

互いに誰かを支え、手を取って、認めて。

なんの差別もなく、仲良く笑いあって暮らせますように。親神様はそんな期待を込めて、今日も僕らの命を支えてくださっています。

だから、その期待に応えることこそ、だれもが持っている「生きる意味」です。

けど、頭ではそれが理想だと分かっていても、やってくる現実は辛く厳しいもの。悲しみや不安、自己否定の中では、生きる意味なんて簡単に見えなくなるものです。どんなに幻想的な景色も、夜になれば見えなくなってしまうように。

けど、僕は伸ばした手が、いつか暗闇の中で悩み苦しむ人に届くと、そう信じながらこのブログを更新し続けたい。

僕も僕自身の、生きる意味を強く輝かせるために。

先に話した大阪の飛び降り自殺の件、1人の警察官が説得を試みたそうですね。残念な結果に肩を落とした、ということもニュースで拝見しましたが、その勇気と優しさでたくさんの人が「私もそんな人間でありたい」と思うきっかけになったと思います。ありがとうございました。

それでは。

あわせて読みたい

天理教の死生観については、こちらの記事にまとめました。生きる意味とセットで、読んでもらえたら嬉しいです。

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