僕は天理教の教祖みたいな人になりたい

僕は憧れのあの人のような、優しくて思いやりに溢れた人になりたい。|皆丸い心で

信仰のある暮らし

こんにちは。『今日も信仰は続く』を運営している桑原信司です。気軽に信ちゃんって覚えてくれたら嬉しいな。

以前に、天理教の信仰のゴール地点は【陽気ぐらし世界の実現】であることをに記事にしました。今回はその続きです。お時間があれば該当の記事を読んでいただけると幸いです。

さて、天理教の信仰のゴールは陽気ぐらし世界の実現なのですが、そのために僕はどんな活動をするのか。「この世が陽気ぐらし世界になるために…」というなんともスケールの大きい前置きで、足がすくみそうになりますが、僕は次のことを意識しています。

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勇気と優しさを持つこと

この世には陽気ぐらしになるために解決しなくてはならない社会問題がたくさんあります。これらに関心を持つことは大切ですが、実際に個人が働きかけていくとなると、正直難しいなぁと感じる人がほとんどだと思います。

ですが、身近な人がそんな社会問題にぶち当たっていたとしたらどうでしょうか。

うつ病患者の増加問題」を解決することは難しくても、いろいろと抱え込んでそうな同僚の話に耳を傾けたり、済まさないといけない仕事を手伝うことはできます。

公共施設のバリアフリー化」を個人で実現することは難しくても、駅などで困っておられる車イスの方に「なにか手伝えることはありませんか?」と聞くことはできます。

他にも、実行するための勇気と相手を気遣う優しささえあればできることは少なくないはず。「案外その勇気が出ないんだよね」と感じる人もたくさんいると思いますが、それがたとえどんなに小さな働きかけだったとしても、人をたすけたいという心の使い方は必ず親神様に喜んでいただけることを忘れてはいけません。

皆丸い心で

おやさま(天理教の教祖)は、小さな子供に陽気ぐらしの魅力を伝えられるとき、側にあったブドウを手にとって

「 世界は、この葡萄のようになあ、皆、丸い心で、つながり合うて行くのやで。 」


『稿本天理教教祖伝逸話篇』一三五 皆丸い心で

と教えられたそう。また、信仰者の心の持ち方については

「 やさしい心になりなされや。人を救けなされや。癖、性分を取りなされや。 」


『稿本天理教教祖伝逸話篇』一二三 人がめどか

と教えられました。

ブドウの果実は、1つの房にたくさんの実をつけます。しかし房の中に1つでもトゲのついた実があったなら、きっと隣の実から傷がついてダメになってしまうでしょう。すべての実が丸く、みずみずしい弾力を持っているからこそ、ブドウは1つの房にたくさんの実をつけることができるのです。

そんなブドウのように、すべての人間が丸い心になれば、傷ついてダメになってしまう人間はこの世からいなくなる。そんな世界こそ「陽気ぐらし世界」ということだと思います。

そしてその「丸い心」とは、近隣の人を傷つけるようなトゲのない、優しく、「困っている人をたすけたい」という思いやりに溢れた心だということがわかります。

この心でいることを大切にして、近しい人たちと助け合って仲良く暮らすことが、地域や社会、ゆくゆくは世界を変えていく大きな一歩になります。その歩みを根気よく続けていけば、いつかこの世に陽気ぐらしが訪れるはずです。

あの人が歩き始めた道だから

優しい人になろう、困っている人をたすけられるような人になろうとする努力は、天理教の信仰をするうえで欠かせません。しかし信仰のない方の中には綺麗事だよと心配してくださる方もいるかもしれませんね。

確かに、時にはおせっかいだと言われたり、こちら側の配慮が足らずに喜ばれなかったり、恩を仇で返されるような苦い経験をすることもあるでしょう。

でも、僕は学ばせてもらったのです。この綺麗事のような生き方を生涯を通して実行された、おやさま(天理教の教祖)というお人を。家族の懸念や周囲の人々の心配を押し切って、人のために勇気と優しさを尽くされたその生涯に、数えきれないほど多くの人が救われたことを。その優しさと思いやりは世代を越えて連鎖していき、現代でも僕をはじめ多くの人々の胸に受け継がれていることを。

僕も天理教の信仰者として、おやさまの優しさと思いやりに満ちた生涯をマネながら、これからも誰かを笑顔にするために生きたいです。職場でも家庭でも、このブログでも。

それでは。

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