天理教の信仰ってなんだろう。僕なりのベストアンサー | 『今日も信仰は続く』

天理教の信仰って、なんだろう。僕なりのベストアンサー

信仰のある暮らし

こんにちは。「今日も信仰は続く」をご覧いただきありがとうございます。

管理人の信司です。気軽に信ちゃんって覚えてもらえたら嬉しいな。

さて、天理教を信仰している僕ですが、これを打ち明けるとよく聞かれるのが「天理教ってどんな信仰をしてるの?」という質問。実はこの答えには、かつての教団のトップ(真柱様、とお呼びしています)が明言したベストアンサーがあるのですが、実はいつも迷ってしまいます。

今の僕に言う権利はあるだろうか…と。

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ベストアンサーとは

中山正善(なかやま しょうぜん)というかつて天理教の2代目の真柱を務めておられた方は、この質問に対して「私を見てくださいと言えるように」と語られました。ごちゃごちゃ言わずに生き様で語れ、ということだと思うのですが、まだまだ新人の僕にはちょっとハードルが高いので、今のところは次のようにお伝えするようにしています。

「天理教では、生きているということは神様に生かされているということだと教えられるよ。」

「天理教の神様は僕ら人間が仲良く助け合う世界を望んでおられるから、まずは僕から誰かを助けたり、喜んでもらえるような人でいることを心がけているよ。」

僕らは生かされて生きている

上記の説明をすると、話の流れでよく「神様に生かされている」という部分に引っかかりを感じている人が多いように思います。

それもそのはず。そもそも宗教でも信仰していない限り、僕らの生命に神様が関わってくるなんて発想は誰もしないと思います。

しかし話してみると案外「なんとなく言ってることは理解できる」と言われることも。やはりみなさんも命の不思議や生命の神秘みたいなものはどこかで見聞きしたり、実体験から感じておられるのでしょうね。

命の不思議について

僕が特に「命って不思議だな」と感じるのは、

呼吸も

心臓を動かすことも

食べたものを消化・吸収することも

……

この身体の、ありとあらゆる生命維持活動のほとんどがオート(自動)で、休みなく働いているということ。

考えようによっては当たり前のことですが、僕のような信仰者は「神様のおかげ(御守護)」だと信じています。だから「僕は自分で生きている」のではなく「僕は神様に生かされている」というスタンス。

そして、神様に生かされているのなら、やはり神様に喜んでいただけるような人生を歩ませてもらいたいな、というところから信仰は始まるのです。

僕なりのベストアンサー

生かされている喜びや、救けてもらった嬉しさを神様にどのようにして恩返しするかは、宗教を問わず信仰のテーマだと言えるでしょう。

天理教の教祖であるおやさまは、このように仰せられました。

金や物やないで。救けてもらい嬉しいと思うなら、その喜びで、救けてほしいと願う人を救けに行く事が一番の御恩返しやから、しっかりおたすけするように。


天理教教祖伝逸話篇 七二 救かる身やもの

天理教の神様が一番お喜びになる恩返しは、金や物をお供えすることではなく困っている人に手を差し伸べることだと仰せられました。ですから、今日も人に喜んでもらったり、人の役に立つことをして生きていたいのです。

そしていつか「天理教ってどんな宗教ですか?」と聞かれたときに、「私を見てください」とまでは言えなくても「このブログを見てください」と言えるように、困っている人のたすけになるような、誰かに喜んでもらったり役に立つような記事をここに記していきたいなと思います。

それではっ!

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