人生の物語を作るのは僕たち自身だけど、次のページをめくるのは神様だと思う|ふしから芽が出る

人生の物語を作るのは僕たち自身だけど、次のページをめくるのは神様だと思う|ふしから芽が出る

今日も信仰は続く

「人の数だけ物語がある」

僕はこの言葉が好きなのですが、どこで聞いたのかはわからなかったのでふと調べてみました。

そしたら、大竹まことさんがパーソナリティをつとめる「大竹まこと ゴールデンラジオ!」 の人気コーナー「ザ・ゴールデンヒストリー」が番組10周年を記念して書籍化された際につけられたタイトルだということがわかりました。

本の内容は、本当にあった、誰かの人生の物語。

大竹まことがパーソナリティーを務めるラジオ番組内の一コーナーの書籍化だ。放送時間は約5分。男手一つで育ててくれた父の背中を見て、ピンセット工場を継いだ鈴木正弘さん。交通事故による寝たきり生活を経て、車椅子ラグビー日本代表となった岸光太郎さん。最終試験で宇宙飛行士を逃したが、別の形で夢をかなえた内山崇さん。原発事故からの避難者、沖縄戦の体験者ら16人を収録。圧縮した文章からは取材に費やした時間と労力が想像される。

https://dot.asahi.com/ent/publication/reviews/2017080100042.html?page=1

はたして僕はこの本のタイトルを、どこかで見聞きしていたのかな。結局わかりませんでしたが、面白そうな本なので、ぜひ読んでみたいですね。

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「人生は、物語である」

人が語る夢や、それを叶えるための努力、その中で味わった挫折や苦しみ、それでも厳しい現実に懸命に立ち向かう姿。

僕は、こんな「人生の物語」が大好きです。

懸命に生きようとしている人の軌跡に触れると、自分が抱えている悩みなんか、ちっぽけなものに思えてきます。なんだか心が洗い流されるような感覚になり、勇気や希望が湧いてきます。明日も頑張ろう!と素直に思えるからです。

もちろん、そこには多くの苦難があり、ときには涙を流さずにはいられないような場面もあります。けど、そんな困難をどうやって乗り越えたのかというところに、僕は強烈に心惹かれるわけです。

それは本人の絶え間ない努力や、恩師や友人との出会い、奇跡のような出来事など、たくさんのドラマがあって。まさに「人の数だけ物語がある」という言葉が表す通りです。

僕らの人生もまた、物語になる

僕たちの人生にも同じことが起こります。つまり、誰もが自分の人生の物語の主人公なんですよね。

もちろん、綺麗なストーリーばかりではないでしょう。「なんで私はこんな人生なんだろう」と落ち込む人もいるかもしれません。

けど、大丈夫。辛い経験も、消したい過去も、来てほしくないと願うような明日でさえも、過ぎてしまったことはすべて人生の物語になります。たとえ今が、どれだけ辛くても。

過去のトラウマがフラッシュバックして、心身的な苦痛を伴うことを「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」と言いますよね。

これに今なお苦しんでいる人は少なくないです。しかし一方で、それを乗り越えて精神的成長を認められるケースがあり、これを「PTG(心的外傷後成長)」と言います。

PTSDに比べてあまり知られていませんが、どんな暗闇の中にも道があることは、たくさんの人に知っておいてほしいなと思います。

辛い体験やトラウマから逃げ続けるのではなく、「あの過去があったから今の自分があるのだ」と捉えてみる。掘り下げてみる。

それはトラウマと正面から向き合う、精神的な苦痛を伴う作業でもあります。しかし、終える頃にはきっと前を向けているはず。母親の死、自身の交通事故を、今こうして人生の物語としてブログに公開し、講演もした僕のように。

また、僕が信仰している天理教の教えにも、「ふしから芽が出る」という言葉があります。

教祖は常に、
「ふしから芽が出る。」
と、仰せられた。 

稿本天理教教祖伝「第七章 ふしから芽が出る」

木々が節目から芽を吹かせているように、人生の節目には必ず成長がともなうことを教えられています。

生きてさえいれば

医学的にも、信仰的にも、苦難を乗り越えた先には成長がある、と教えられます。

ここで大切なのは、生きることを諦めないことです。たとえどんな暗闇の中にいても、歩き続けていけば、いつか抜けられると信じて。

そして、そんな人の心を暖め、足元を照らし出すのが僕たち信仰者の仕事でもあります。
神様に「どうかあの人を助けてください」と祈ることで。また、その人と歩幅を合わせることで。一緒になって笑える日が来るまで。

これが僕の仕事であり、天理教の「信仰のある暮らし」です。

それでももし、生きることを諦めてしまいそうになる瞬間がやってきたときは、左胸に手を当ててみて下さい。

心臓が動いているのがハッキリわかります。どんなに憂鬱な朝も、逃げ出したくなる昼も、涙がこぼれる夜でも、絶え間なく。

人の数だけ、物語がある

人生の物語を紡いでいくのは間違いなく僕たち自身ですが、新たなページをめくるのは、今も僕たちを生かして下さっている親神様(天理教の神様)なのだと僕は思います。

だからこそ、今日も結構に生きましょう。辛いときは、お互いに遠慮せずに助け合いながら、いつかは必ずハッピーエンドを一緒に迎えましょう。 きっとそんなシナリオを、神様も期待しているのだから。

それではっ!

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