欲にきりない泥水をかき分けて、本当の自分(Authenticity)に会いに行こう

欲にきりない泥水をかき分けて、本当の自分(Authenticity)に会いに行こう

信仰エッセイ

こんにちは!『今日も信仰は続く』を見ていただいてありがとうございます。桑原信司(@shin0329)です。

信ちゃん
信ちゃん

気軽に信ちゃん、って覚えてくれたら嬉しいな~!

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僕はどちらかというと、「完璧主義」だと思います。

けど、それは決して厳格なものじゃなくて。むしろ他人のミスに関してはわりと寛容なタイプです。

誕生日を1日間違えてお祝いされても、喫茶店でお気に入りの服にコーヒーをこぼした店員が美少女じゃなくても、ぜんぜん笑って許せると思う。笑

僕が許せないのは、いつだって自分自身ですから。

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完璧主義には裏がある?

つい「完璧」を目指してしまう人は、きっと自分に自信が無い、という人が多いのでしょう。

僕がそうです。ありのままの自分に自信がないから、努力で必死にカバーしようとしてしまいます。

けどこの「努力」というものは、案外キッチリと「時間」というコストを奪っていくんですよね。それが正直しんどかったりもします。

この『今日も信仰は続く』をスタートさせたのは2年前ですが、たくさん時間をかけて構築してきただけあって、当初の予想を大きく上回る反響を頂きました。

「ブログ見てるよ!すごいね!」と褒めてもらうことが多くなってきたし、アクセス数も多い時で月間45,000PVくらい集まりました。先輩がパーソナリティを務めるラジオに出演させてもらったり、Otasuke Picks などのセミナーにもたくさん登壇させてもらいました。

この2年間で、僕はずいぶんとステップアップすることができたんですよね。それは本当に有難いことです。

だけど、自身のステップアップと比例するように、僕の足取りはどんどん重くなってきました。

「すごいと思われている自分」をキープするためには、もっと「完璧」を目指さないと…と思うようになって。

その結果、いつしか僕は自分で設定したハードルを越えられなくなりました。

Authentic Leadership との出会い

ところが、先日「リーダーシップ」について学ぶ機会がありまして。

その講義のなかで印象に残ったのが「次世代のリーダーシップは、よりオーセンティック(ありのまま)な側面を必要としている」ということ。

これはどういうことかと言うと、よく言われる「リーダーたるもの、○○であれ!」という「○○であるべき論」はすでに時代遅れだということです。

  • ありのまま、弱みをさらけ出し、他者の手を存分に借りる
  • 自分の弱みと、他者の強みを接続できる

自分を飾らないリアルな人間性が、より深いパートナーシップを生み出すカギになるんですよという講義でした。確かに、完璧超人よりも、どこか頼りない部分がある人の方が周囲から愛されたりしますもんね。

また、その講義では、

できていないのに「できている風」を装うのは、かえって周りに気を遣わせます。その人が隠そうとしている「弱み」を、まるで地雷を踏まないように避けなければいけないからです。

とも言われていて。(これってまさに、僕のことだよな)と反省するきっかけになりました。

もっと自分の内側にアンテナを向けよう

「オーセンティック(Authentic)」という言葉には、「本物である」「信頼できる」「真正の」という意味もあります。

それはつまり「作られたもの」ではないということですね。

ところが、これまでの僕は、誰かに「弱み」を見せることなく、逆に「強み」を必死にアピールすることでそれを隠してきました。尊敬している人や、社会で成功している人のマネをして、自分の価値を上げることで精一杯だったのです。

みんなに「優秀な人材」だと思われたくて…

たぶん、僕が苦しくなっていった原因は、ここにあるんだろうなと。ありのままの自分が持っている「弱み」を隠して、ずっと「理想的な自分」を繕っていたからだと思います。

Authenticity を求めて

理想的な誰かの人生をモデリングしたところで、その人と同じにはなれません。

あくまで自分は自分です。それはきっと、努力で解決できるものでもないでしょう。

僕もさんざん「すごい人」のマネをしてきたけど、結果的にはついていけなかった。もちろんその努力はムダではないけど、たぶん方向性を間違えていたのだと思います。

僕はもっと、自分の内側にある「弱み」に目を向けていくべきだった。

弱い人間でいい。

苦手なことがあってもいい。

優秀な人材じゃなくったって、ぜんぜん大丈夫。

そういう執着心を捨てて、本当の自分(Authenticity)と出会い、彼を心から認めてあげられたら…

僕はもっと幸せになれそうな気がします。

よくにきりないどろみづや こころすみきれごくらくや

(十下り目 4)

欲望にきりない泥水のような心ではいけない、心を澄み切らせて極楽を味わいなさい。

僕が信仰している天理教の教えです。今日の朝づとめで歌いながら、心にスッと入ってきて「うんうん、そうだよな」と思わせてくれました。

教会で生活していると、こうして日々教えに触れることができます。そういう「古き良き教え」と暮らす生活のことも、これから届けていきますので、よろしくお願いします。

あとがき

自分なりに「完璧」を求め過ぎて、ずいぶんと更新ペースが落ちていた『今日も信仰は続く』ですが、これからはもっとペースを上げて更新していけたらなと思っています。

今回のようなクオリティの低い記事が増えるとは思いますが…ちゃんと自分の心の中にいる、本当の自分(Authenticity)が感じたことを、誰よりも大事にしていきたいなと。

なんとなく考えていたことを煩雑にアウトプットするだけでも、ずいぶん心が整理されます。この調子で、もう少し深くまで泥水をかき分けていこうかな。

息は持つだろうか 深い心の底まで

君が沈めた君を 見つけるまで潜るつもりさ

苦しさと比例して 僕らは近づける

再び呼吸をするときは

”君と一緒に”

BUMP OF CHICKEN『メーデー』

それではまた、次の記事でお会いしましょう。信ちゃん(@shin0329)でした!

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