宗教家コラムニストがデータで客観視する「リアルな天理教」①

【前編】宗教家コラムニストがデータで客観視する「リアルな天理教」

今日も信仰は続く

今回の記事は「現在の天理教」について、統計などのデータを駆使して、できるだけリアルに浮かび上がらせてみよう、という試みから、宗教コラムニストのはかせさんに寄稿を依頼したものです。

はかせさん、ご協力ありがとうございます。

はじめましての人ははじめまして。宗教家コラムニストを自称している、はかせ( @Nitinitikekkou )と申します。

『今日も信仰は続く』の著者である桑原信司さん( @sh1n0329 )は大学の先輩で、在学中も、そして卒業後も何かとお世話になっている頼れるお兄さんみたいな存在です。

そんな信司さんから、今回寄稿の依頼をしてもらって、喜んで引き受けさせてもらいました。

はじめに、私がなぜ「宗教家コラムニスト」なんてことをしているのかを、少しだけお話させてください。

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宗教コラムニスト活動について

私の好きな言葉の一つに、「鳥の眼と虫の眼」というのがあります。

「鳥の眼」というのは、鳥のように高い所から全体を見渡すような視点のことです。

「虫の眼」というのは、地に足を付けて、近くにあるものをしっかりと見ようとする視点です。

マクロな視点(鳥の目)と、ミクロな視点(虫の目)。あらゆるものを理解しようとするとき、私はこの2つの視点が不可欠だと思っています。

そこで、天理教も、

  • 「社会の中の天理教」という広い視点
  • 「宗教としての天理教」という細やかな視点

の2つからよくよく観察して、今どういう状況にあるのか、これからどうなっていくのかを、きちんと捉えて発信していきたいと思うのです(このような未来を見据えた視点のことを「魚の眼」と言ったりします)。

今回は、その2つの視点の中でも「鳥の眼」、つまり少し離れた視点から天理教を客観視する、ということをやっていきたいと思います。

それがあなたにとって「見たことのなかった景色」を提供できることになれば幸いです。

それでは、よろしくお願いいたします。

Ⅰ.天理教の歴史・成り立ち

天理教は新宗教の先駆け

天理教が成立したのは、江戸時代の末期、天保9年10月26日のことです。

西暦で言うと1838年で、天保の大飢饉や、大塩平八郎の乱なんかがあった頃ですね。

「宗教」というのは、世界的に見ても社会の混迷期に発生しやすいと言われています。事実、この幕末の動乱期には、日本で次々と新しい宗教が誕生しました。

が、そもそも宗教が発生する、という現象は、世界的に見ても、また日本の歴史においてもそうあることではないのです。

日本において言えば、まずは文字の無い時代からあった神話的な信仰を元に「神道」が成立。その後、仏教が奈良時代に3派、平安時代に2派がそれぞれ伝来。鎌倉時代にようやく、日本独自の仏教の宗派が7派成立。また、戦国時代には黄檗宗の1派のみが成立し、キリスト教が伝来しました。

つまり、江戸幕末期が来るまでに日本にあった宗教とは、神道と仏教13派と、キリスト教、それだけということになります(土着信仰などは除きます)。

ところが、この幕末期から現代までには、なんと350~400という宗教が成立しました。

そうした、幕末期以降に成立した宗教のことを、宗教学の区分で「新宗教」と呼ぶのですが、その中でも天理教は、「如来教」「黒住教」に次ぐ3番目に成立した宗教であり、新宗教の先駆けとも言える存在なのです。

天理教は日本初の「諸教」

また、こうした新宗教の多くは、神道、仏教、キリスト教のいずれかの影響を受けており、その教えを一部変更するような形で成立したものがほとんどです。

そうした中において、神道でも仏教でもキリスト教でもない、全く新しい神様と、全く新しい教えを説いた宗教というのは、実は天理教が日本で最初だと考えられます(そうした宗教を、文科省は「諸教」と分類しています)。

さらに言えば、天理教は一神教ですが、基本的に多神教の国である日本において、キリスト教など既存の一神教の影響を受けずに発生した、最初の一神教であるとも言えます。

つまり、天理教という宗教が立教した、という事実だけでも、宗教の歴史においては他に類を見ないとてもすごいことなのですが、現在はまだ宗教学(天理教学とは異なる)において天理教の研究がまだまだ進んでいないため、この驚くべき事実はあまり世間の知るところとはなっていません。

Ⅱ.信者数の推移

さて、天理教のすごさを客観的な「鳥の目」から語るとき、その成立や教えの内容もさることながら、天理教の教えが実際に多くの人に受け入れられ、信仰されてきた、という事実も挙げられるでしょう。

その点から、今度は天理教の信者数の推移をデータの上から見ていきます。

ほとんど信者の居なかった、教祖ご在世時

天理教は当初から大きな教勢を誇っていたかというと、実はそうではありません。

天理教の立教は1838年の天保9年ですが、そこからおよそ25年間、なんと天理教の信者数は0人でした(教祖やその御家族はあえて含みません)。

それが、「をびやゆるし」と呼ばれる安産の助けがきっかけとなり、徐々に信徒を増やしていきます。

しかし、それもしばらくは土着信仰の域を出ないほどのものであり、加護を願い出る人は多くとも、その後も継続しておやさま(天理教の教祖)を信仰する人の数は少なく、近隣の地域に数百人というような規模に留まっていたことだろうと思われます。

状況が大きく変わりだすのは明治12年ごろから、現在の大阪を中心に天理教が一気に伸び広がったことです。

そこから明治14年ごろまでには信徒数は一気に1万人を超えただろうと推測されますが、明治15年ごろからは警官の取り締まりが厳しくなり、おぢば(奈良県天理市)に帰っておやさまにお会いできる信徒の数はごくごく限られたものになっていました。

その為、実際の信徒数を把握することが難しく、確かな数は分かりませんが、その後も信徒は増え続け、明治20年ごろには5万人ほどだったのではないかと推測します。

急速に伸びた天理教

それが、おやさまが現身を隠されて後、状況が一変し、天理教は急速に伸び広がっていきます。

5年後の明治25年の資料を見るとなんと約117万人。

更に4年後の明治29年には約313万人となっています。

その後は国家から迫害を受けたことも影響して、ほぼ横ばいの状態が続きますが、明治41年に一派独立を成し遂げてから再び増加に転じ、明治43年には475万人と記録されています。

当時の人口が約5000万人だったことを思うとおよそ10人に1人という数です。

出典:天理教の教勢100年—統計数字から客観的にみる— / 辻井正和

その後、いわゆる「教勢倍加運動」のあった大正末期から昭和初期にかけて、教会数や教師数は劇的に増加しましたが、信徒数はデータを見る限りそれほど変化が無かったようです。

また、昭和11年ごろ、天理教内で「800万信徒」というような形容がなされたこともあるようですが、データによる裏付けは取れていません。

教外資料の『時事年鑑』昭和13年には、信徒4,559,000人と記されています。

どちらにせよ、当時、天理教が日本の新宗教において、圧倒的最多数であったことはまちがいありません。

衰退の第一原因は、「戦争」

事態が一変したのは第二次世界大戦の勃発です。

弾圧・革新などを経て、ようやく戦争が終わった昭和21年の天理教の信徒数を見ると113万人と記されています。

その数、なんと全盛期の4分の1以下。今でも、もし戦争が無かったら?というIFを考えずにはおれません。

その後、10年の年祭ごとに、昭和31年には202万人。昭和41年には246万人と奮闘しますが、時を同じくして新宗教、創価学会立正佼成会の大躍進が始まります。

特に創価学会の躍進は凄まじく、「折伏大行進」の名の下に、大規模な布教・多宗教攻撃運動を展開していました。なかでも天理教は特に槍玉にあげられ、徹底的に攻撃されました。

それによって劇的に信徒数を減らしたわけではありませんが、勢いを削がれ、その後も勢いを増していった創価学会・立正佼成会に比べ、天理教はその後もずっと微減状態が続きました。

現在も天理教は日本の新宗教において、創価学会、立正佼成会に次ぐ、三番手を維持しています。

現代における宗教の苦境

そんな中、さらに状況が一変したのがここ10年間です。

実はここ10年間で、どの宗教も軒並み信徒数を激減させています。

天理教もこれまで微減であったのがこの10年で160万人から120万人に激減。

立正佼成会などは430万人から270万人まで激減しました。

創価学会は信徒数などを一切文科省に公表していませんので確かなことは分かりませんが、公明党の得票数を見る限り、あれだけの勢力を誇った創価学会もこの10年で減少の傾向にあり、特にこの3年間で得票数を100万票以上減らしていることを考慮すると、その内状は穏やかではないように思われます。

このような巨大な新宗教はまだマシな方であり、元から勢力の小さかった新宗教などは、もはや風前の灯、滅亡の危機に瀕している団体も決して少なくありません。

なぜこのようにして、急激に宗教が衰退しているのかという原因については、また話が変わりますのでここでは扱いませんが、良ければ私のコラムを読みに来てください(笑)

以上が、天理教の信徒数の推移になります。長くなるので、今日はここまで。

後半では、データから分かる天理教の特徴と、今後の展望について、お話させていただきたいと思っています。よろしくお願いします。

記事後半はこちら↓

宗教コラムニストはかせさんの活動はこちら!

今回、寄稿に協力していただいた宗教コラムニスト・はかせさんは、主にnoteで活動されています。僕は有料マガジンも購入させてもらいましたが、彼の「魚の目」で見る景色はとても勉強になります。

これとかヤバい。天理教の信仰者向けの内容ですが、ゾクゾクするほど面白い…!

“元の理”を生物学的・考古学的観点から理解する① / 宗教コラムニストはかせ

もちろん、無料の作品もたくさんあるので、ぜひチェックしてみてください。

note ➤ 宗教コラムニストはかせ

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