僕には帰る場所がある、いつでも「おかえりなさい」が待っている│天理教の聖地「おぢば」について

僕には帰る場所がある、いつでも「おかえりなさい」が待っている│天理教の聖地「おぢば」について

信仰のある暮らし

「おかえりなさい」

「ありがとう」に次いで、個人的に言われると嬉しくなる魔法の言葉です。

こんにちは!『今日も信仰は続く』をご覧いただきありがとうございます。桑原信司です。気軽に信ちゃん(@shin0329)って覚えてもらえたら嬉しいな。

昔アパートに一人暮らしをしていた頃の話なのですが、僕は家に帰ってきてドアを締めたあと、なぜかよく「ふぅ…」とため息をついていました。

ドラマでもよく見かけるシーンなので、たぶん僕だけではないはず。けど、なぜドアを締めたあと、人はため息をついてしまうのでしょうか?

家に帰ってこれた安心感でしょうか。それとも、外では我慢していただけなのでしょうか。

僕はきっと「ただいま」って言いたくなるからだと思います。けど家には誰もいないから、言葉にならずに「ただいまになるはずだった息」が漏れてしまうんじゃないでしょうか。

きっと「ただいま」が言えることって、幸せなことなんだなと感じました。

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聖地は世界中にあるけれど

世界中に「聖地」と言われる場所はたくさんあります。

例えば、ユダヤ教・キリスト教の聖地であるエルサレムは、ユダヤ人の祖アブラハムが、息子のサラムを生贄に捧げようとした場所です。

「(神が)準備したサラム」という意味の「イルエ・サラム」という言葉が語源となり「エルサレム」と呼ばれるようになりました。ちなみに、イスラム教の五大聖地のひとつでもあります。

他にも、ネパールにあるルンビニーという所は、釈迦が生まれた場所と言われており、仏教の四大聖地のひとつとなっています。

天理教の聖地は「おぢば」

僕が信仰している天理教の聖地は、奈良県天理市にあり、「おぢば」と呼称されています。

他の宗教にない特徴として、「おぢば」は“教祖にゆかりのある土地”という意味で「聖地」とされているのではない、という点が挙げられます。

では、どういった理由で「聖地」だとされているかというと、「おぢば」は世界と人類を創造した神話「元の理」の舞台となった地点であり、時間的・空間的にもこの世の全てはここから始まったとされる地点だからです。「原初の聖地」とでも言うべきでしょうか?

また、仏教イスラム教のように〇大聖地、といくつかの聖地を同等に扱うことはしません。

天理教の聖地は「おぢば」ただひとつです。

「おぢば」は帰るところ

このような話をすると、なんだか「神秘的な場所」「恐れ多い場所」というイメージを持たれるかもしれませんね。

しかし、実際はその逆で、多くの信者に愛されている場所という側面もあります。これも、他の宗教にはない特色だと言えるでしょう。

例えば、僕たち天理教の信仰者は、奈良県天理市の「おぢば」へ行くことを「おぢばに帰る」と表現します。

「おぢばに行く」ではありません。

また「おぢば」では、帰ってきた人に対して「おかえりなさい」と呼びかけたりします。

「いらっしゃいませ」ではありません。

おちばに行く → おぢばに帰る

いらっしゃいませ → おかえりなさい

これはなぜかというと、僕らにとって「おぢば」は「心のふるさと」だからです。

心にも「ふるさと」はあるだろうか

少し話が横にそれますが「BUMP OF CHIKEN(バンプオブチキン)」というバンドの『涙のふるさと』という曲をご存知でしょうか?

探さなきゃね 君の涙のふるさと

頬を伝って落ちた雫が どこから来たのかを

『涙のふるさと』 BUMP OF CHIKEN

この曲の中では「涙のふるさと」は「君の心の内側」にあって、治らない心の傷の場所を伝えるためにやって来たんだよ、と歌われています。

涙にも人と同じように「ふるさと」がある、という文彩のある表現(レトリック)が素敵な曲です。

では、涙と同じように心にも「ふるさと」があると表現するならば、それはいったいどこにあるのでしょうか?

僕が信仰している天理教では、「心のふるさと」こそ奈良県天理市にある「おぢば」だと教えられます。

なぜなら、世界も、僕らひとりひとりも、この世の全てはここにルーツを持った存在だから。

また、人間は誰もが親神様の子供であり、「おぢば」は親神様がお鎮まりくださる場所ですから、親が子の帰りを待っている場所という意味でも「心のふるさと」というわけです。

おぢばで会いましょう

天理教の信仰者はみんなそうだと思いますが、僕も「おぢば」が大好きです。

ただの奈良県の田舎町なのですが、どこよりも心地いい懐かしさが琴線に触れるのは、僕の帰りを待っている神様がいるから。

どんなに夜遅くに到着しても、神殿は24時間解放されていて、それもまた「ふるさと」らしくていい。静まり返った薄暗い殿内で参拝をすると、なんとも言えない安堵感が込みあげてきます。

ただいま帰りました」そう心の中で祈れば、どこからか「おかえりなさい」と聞こえてくるような、不思議な気持ち。

「ただいま」って、言いにおいでよ

そして「おぢば」には、もちろんですが僕以外にもたくさんの信者さんが帰って来られます。

中には普段は遠くてなかなか会えない友達もいて、そんな彼らと飲みかわすお酒は、いつも懐かしくて、だけどとびっきり新鮮な味がします。

また、友人が別の友人を誘って来ることも多くて。そんなとき、新たな出会いに乾杯するのもまた楽しくて楽しくて。

もしこれを読んでいる方で、「おぢば」に誘われている人がいるのなら、差し出がましいようですが、僕に背中を押させてほしい。

「おかえりなさいを言うための息」を吸い込んで、一足先におぢばでお待ちしております。そのときはきっと乾杯しましょう!いろんな話を聞かせてくださいね。

それではっ!

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