宗教家コラムニストがデータで客観視する「リアルな天理教」②

【後編】宗教家コラムニストがデータで客観視する「リアルな天理教」

信仰のある暮らし

今回の記事は「現在の天理教」について、統計などのデータを駆使して、できるだけリアルに浮かび上がらせてみよう、という試みから、宗教コラムニストのはかせさんに寄稿を依頼したものです。

はかせさん、ご協力ありがとうございます。

はじめましての人ははじめまして。お久しぶりの人はお久しぶりです。宗教家コラムニストのはかせです。

この記事は、前後半に分かれていますので、まだ前半をお読みでない方は、まずそちらの方から読んで頂けますと、流れがよく分かっていただけると思います。

それでは引き続き、よろしくお願いします。

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Ⅲ.データで見つめる天理教の特徴

宗教をデータから語る上で、最も分かりやすいのは、前回お話しした信徒数ですね。

しかし、各宗教が文科省に提出している統計資料から分かることが、実はあと2つあります。

それは「拠点数」「教師数」です。以下に解説させていただきます。

天理教は拠点と教師が多い

宗教の拠点とは、仏教で言うお寺、神道でいう神社のことで、天理教で言う教会布教所を指します。

また、教師とは仏教で言うお坊さん、神道で言う神職、天理教では教人(きょうと)がこれにあたります。

そして天理教の特徴として、この拠点数と教師数が非常に多いということが挙げられると思います。

天理教は拠点数と教師数が多い宗教

2019年現在、天理教の教会は世界に16,355ヶ所の教会があり、「布教所」の数を足すと32,417ヶ所の拠点があります。

これは、「神社本庁」に属する神社数の78,760ヶ所に次ぐ2番目に多い数であり、宗派毎に分けたお寺の数よりも多くの教会があります(3番目は「曹洞宗」で14,539ヶ所)。

また、現在天理教の教師数は145,389人で、日本の全宗教団体の中で最多です(2番目は「真如苑」の101,041人)。

このように、他宗教と比べて非常に拠点数・教師数が多くなっている要因としては、前回の記事で言及した「教勢倍加運動」の影響が挙げられると思います。

現在では批判的・反省的に語られることの方が多いこの「教勢倍化運動」ですが、客観的なデータの視点に立つと、この拠点数と教師数の多さに大きく貢献しており、これらが天理教にとって非常に大きな強みになっていることが認められます。

天理教は「地方力」で生き残れ

前回の記事で新宗教の信徒数の激減の話を挙げましたが、他宗教の減り方に比べれば、天理教の減り方はまだまだマシな方であると言えるでしょう。

その要因として挙げられるのが、拠点数の多さと教師数の多さに起因する「地方力」の強さです。

都市型宗教の衰退

戦後に興った新宗教の多くは、いわゆる「都市型」の宗教です。

戦後、地方から都市に出てきた若者たちのコミュニティとして発達した背景が強く、そのため信徒の分布は主要都市の周辺に集中しています。

こうした都市型の宗教では、一つの拠点あたり、また一人の教師あたりで担当しなくてはならない信徒の数が非常に多くなり、教勢が隆盛な時は楽で良いのですが、一度減少に転じてくると全く歯止めが効かなくなります。

なぜなら、信徒の方が拠点に足を運んでくることが基本になる都市型の宗教は、信徒の方がぱたりと拠点に足を運ぶのを止めてしまうと、その後を追うことが困難になるからです。

また、都市は地方に比べて住所の移動が非常に多いことも要因に挙げられます。

創価学会のように、信徒に拠点へ足を運ばせることに強制力を持たせたり、引っ越しの際に引っ越し先周辺の拠点に便宜を図れたりするといった圧倒的な組織力を持っていれば生き残れますが、創価学会以外の弱小都市型宗教は、このまま衰退の一途を辿るでしょう。

地域密着型の強み

一方で、天理教は非常に地方に強い宗教であると言えます。

全47都道府県に拠点を持つのみならず、一番少ない沖縄県でも78か所もの拠点を持っているのです。

それこそ、「ポツンと一軒家」のような山奥にさえ天理教の教会があります。

そうした地方では、普段から信徒と拠点の人間が頻繁に顔を合わせます。お互いに「顔の見える関係」が出来上がります。

また、都市と比べると住所の移動の少ない地方では、こうした関係が代々に渡って持続しやすい傾向にあります。

つまり、天理教は新宗教の中で唯一、お寺や神社のような「既成宗教化」に成功しつつある団体であると言えます。

現在は天理教の中でも、都市型に分類されるような教会の衰退した分だけ信徒総数は減少していきますが、ある程度減少した後は、これ以上は下がらないという底打ちが来ます。

その数はおおよそ20万人~30万人と類推していますが、たとえ下がり切ったとしてもそれだけの教勢を維持できるのは、拠点数の多さと教師数の多さがあったことが、要因と言えるでしょう。

Ⅳ.今後の天理教について考察

さて、ここまではデータから客観的に天理教の成り立ちや信者数の推移について解説してきましたが、ここからは「未来の天理教」に関して考察してみたいと思います。

やはり信仰者としては、低下する教勢に対して、真剣に考えていかねばならない時が来ていると感じています。

もちろん、これは天理教に限った話ではなく、社会の潮流に宗教全体がついていけていないことが大きな要因だと推測することもできますが、やはり現在の状況をこのまま放置していたのでは、天理教も滅亡の一途を辿ることになってしまうからです。

天理教が抱えるジレンマ

例えば、このまま信徒数が20万人ほどまで落ち込んでいけば、この巨大な組織は維持できなくなるでしょう。

が、今の天理教があるのは、前述した通り、紛れもなくこの巨大な組織があったお陰だ、というジレンマをまず解決しなくてはなりません。

現在の「拠点数を減らして整理する」という方策は、もはや避けられない動きなのかもしれませんが、そのやり方を間違えてしまうと、本来残るべき信徒さえ維持できなくなってしまいます。

1.教区制の導入?

例えば、創価学会を見習って、教内でも「教区制」の導入を挙げる声があります。

つまり、今までのような教会ごとの縦の繋がりではなく、地域同士の横の繋がりでこれからはやっていこう、という考え方です。

が、私はこの選択は失敗するだろうと推測します。

なぜなら前例があって、先ほどから何度も名前を出している立正佼成会は、この横の繋がりの導入によって、急激な信徒の減少を起こしてしまったからです。

おそらくこれからの十年で、立正佼成会の信徒数は天理教を下回り、新宗教三番手の位置に落ちていくことが予想されますが、それは教区制を導入した時から避けられないことであったのだろうと思われます。

現在の立正佼成会は、横の繋がり中心にシフトしていた組織作りを再び見直し、新たな形の組織を目指していますが、どうなることやら、です。

そもそも「横の繋がり」で運営していくことは、信徒の方から自由意志で拠点に足を運ばせる、というのが主体になります。

今後、日本人の中に進んで宗教を求める自由意志が芽生えていく兆しがまだまだ見えそうにない現状で、この「横の繋がり」の導入は悪手だと言えるでしょう。

仏教同様に拠点の方から信徒の方へ足を運び、創価学会のように信徒の方から拠点に足を運ぶ、その両立ができる現在の「縦の繋がり」は、今後もある程度維持されていく必要があると思います。

また、拠点を削減するにしても、ただ現状の教勢のみで判断するのではなく、やはり地方の強さを活かす形で再編していかなくてはならないでしょう。

隆盛な教会が密集している所から、いくつかをそうでない地方に移転するくらいの英断が必要なのかもしれません。

2.会活動の廃止?

また、この現代において、唯一教勢が増加傾向にある新宗教として真如苑が挙げられますが、この真如苑は、信者同士の繋がりをなるべく無くすことで成功している節もあります。

天理教に置き換えて言うならば、青年会や婦人会、学生会などの「会活動」をあえて無くす、ということになるでしょうが、私としてはこの方策が天理教でも成功するとはあまり思えません。

新宗教と一括りになってはいても、その内状や良さは、千差万別です。必ずしも他の宗教で上手くいったことが、天理教でも上手くいくとは限らないでしょう。

むしろ、いかに今ある良さを残したまま、部分的変容を遂げるか、というのが、天理教の組織改革に課せられた、今後の課題だと考えています。

では実際にどうすれば良いのか?という具体案を挙げ連ねていくこともしたいのですが、私のような者がこのような場所で言うと後が怖いので、今は口をつぐんでおくことにします(笑)

またいずれ私のコラムで書くかもしれませんので乞うご期待(笑)

天理教は社会にどう開けるべきか

さて、もう一つ、今後組織改革と共に考えていかなければならないのは、社会に対してどう開けていくかということです。

社会の流れに追いついていないのが、衰退の原因だとするならば、どう追いつくのか?ということです。しかし、追いつければそれで良い、というものでもありません。

例えば創価学会は、半分政治団体のように変容することで、巨大化と、それを維持することに成功していますが、そうなるともはや「宗教としての本質」を失ってしまいます(創価学会にとってはそうせざるを得なかった紆余曲折もあるのですが)。

「宗教としての本質」を失わずに、いかに社会に受け入れられるよう変容するか、というのが今後の一つの大きな課題です。

現在天理教では、福祉の側面から、社会的なおたすけを教会が担うことで、これをクリアしようとする動きが活発化しています。私は、これは素晴らしいアクションであると感じています。

が、それと両立して今は「宗教としての本質」を取り戻していくことこそ必要なのではないでしょうか?

もはや天理教は、既成宗教化が進みすぎた余り、今ある「宗教の本質」をどう維持していくか、という段階はすでに終わってしまっていて、失われてしまった「宗教としての本質」を、いかに取り戻すか、という段階にあります。

社会へのおたすけと両立して、今こそおやさまのひながたに代表される「宗教としての本質」を、今一度心に治めなおすべきです。

それは、二代真柱様の言った「復元」という言葉に集約されると思います。

「社会へのおたすけ」と「復元」。この両輪が上手く機能した時、天理教はこの苦境を乗り越えることができ、その先の明るい未来へと、陽気ぐらしの希望をつなぐことができるのではないかと、私の鳥の眼と虫の眼、そして「魚の眼」は見ております。

最後に

前後半に渡り、私の長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

また、非常に偉そうな物言いで、大変申し訳ございません。

しかし、そうした部分を遠慮したほうがよいとされる時代は、もう過ぎているんじゃないかと感じています。

どうぞこの記事を読んで感じていただいたこと、またご意見あればコメントでお寄せ頂きたいと思いますし、また、どこかでそのご意見を表明していただきたいとも思っています。

鳥の眼で見ると、今天理教がいかに危機に瀕しているかということが、虫の眼で見るよりずっとよく分かります。

皆様にもこの危機感を共有し、共に天理教の未来について考えていけたなら、これ以上の幸せはございません。

これにて筆を置かせていただきます。ありがとうございました。

宗教コラムニストはかせさんの活動はこちら!

今回、寄稿に協力していただいた宗教コラムニスト・はかせさんは、主にnoteで活動されています。僕は有料マガジンも購入させてもらいましたが、彼の「魚の目」で見る景色はとても勉強になります。

これとかヤバい。天理教の信仰者向けの内容ですが、ゾクゾクするほど面白い…!

“元の理”を生物学的・考古学的観点から理解する① / 宗教コラムニストはかせ

もちろん、無料の作品もたくさんあるので、ぜひチェックしてみてください。

note ➤ 宗教コラムニストはかせ

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