信仰エッセイ | 『今日も信仰は続く』

信仰エッセイ

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「寄り添うこと」の大切さと難しさ

cakesで写真家の幡野広志さんが書かれた「トンデモとトンデモ以外を分けるものとは何か?」という記事を読んで、感じたことをまとめました。寄り添う、って本当に難しいから。
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欲にきりない泥水をかき分けて、本当の自分(Authenticity)に会いに行こう

僕はどちらかというと「完璧主義」ですが、それは「ありのままの自分に自信がない」ことの裏返しだったりします。ありのままを晒すのは、誰だって怖いこと。だからこそ、僕が大事だなと思うのは「自分の内側にアンテナを向ける」ことだったりします。
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宗教者の仕事は「信じる勇気」を分け与えることだと思う

「信じる」ということは、たとえその根拠が薄くても「認める」ことです。自分の常識の外にあるものや、目には見えないもの、科学的に証明できないものでも「それは確かに、ここにあるんだ」と認めてしまうことです。そして僕の仕事は、そんな勇気を誰かに分け与えることです。
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生きる意味がない人間なんて1人もいない、ということだけは強く強く主張させてください|#元の理

「生きる意味がない人間なんて、この世に一人もいない」。僕は心からそう信じています。僕の信仰している神様が、ハッキリとそう教えて下さっているからです。
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劣等感(コンプレックス)や自己嫌悪は、こんなふうに捨ててしまえばいい|#かしもの・かりもの

自分に自信がない、人と比べてしまう…そんなときは「こころ」と「からだ」の認識がミスっているのかもしれません。かしもの・かりものの教えを手がかりに、ズバっと解決していきましょう。
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SNSでの誹謗中傷に悩む人たちに、僕が宗教家として伝えたいこと|逸話篇135『皆丸い心で』より

2020年はコロナショックもそうですが、多くの芸能人が自殺した年でもあったと思います。その原因とされることの多い「SNSでの誹謗中傷」について、宗教が訴えられるものとは?
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宗教とお金の話をしようか。天理教の教会に生まれ、信者さんの献金で育てられた僕が思う「お供え」の意義

「宗教」と「お金」は強く結びついているイメージであることが多いですよね。でも、実際はどうなんでしょうか。天理教の教会で生まれ育った僕が思う「お供え」の意味を少し書いていきます。
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過去の傷跡だって魅力に変えていく、デニムのような心で|逸話篇26『麻と絹と木綿の話』より

色落ちして、ボロボロになって穴が空いたとしても、「カッコいい」と喜ばれるデニム。木綿を藍色に染め、綾織りにして作られるのがデニム生地ですが、僕もそんな前向きな人でいたいな、と思いまして。
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僕が天理教の信仰をしているのは、亡くなった母親のような明るく優しい人になりたいからです

僕の信仰は教会の長男として生まれたときから始まりました。けれど、当時は「宗教を信じている人」に疑念や嫌悪感を表す人が増えていた時代。もれなく信仰から逃げ出すことを決意した高校1年生の僕にとって、母親の死は人生が180℃変わるような出来事でした。
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