執着心を「捨てる」のは難しいから、定期的に「払う」ことが大切なんです|八つのほこり「ほしい」について

執着心を捨てるのは難しいから、定期的に「払う」ことが大切なんです|八つのほこり「ほしい」について

今日も信仰は続く

こんにちは!『今日も信仰は続く』の桑原信司です。

気軽に信ちゃん(@sh1n0329)って呼んでもらえたら嬉しいな。

僕が信仰している天理教には、守らなければいけない「戒律」のようなものはありません。親神様は、人間が「自分の意志」を持つことを尊重してくださっていますから。

ただ「この感情は心を汚すから、定期的に掃除しましょうね」と、「埃」に例えて概念化されている心遣いがあります。今日はそのうちの1つである「ほしい」という心遣いについて。

ここではわかりやすく「執着心」としましょう。

ちなみになんですけど、人が執着心を抱いてしまうのは「お金」「名誉」「異性」の3つだそうです。

そりゃあ僕も「お金持ちになって、周囲からチヤホヤされ、女性にモテモテになりたいですよね?」とか言われたら首もげるくらいブンブン縦に振ると思いますが…

今日はそんなこと夢見なくても、きっと今この瞬間から人生の幸福度が少し高まる執着心を払う習慣を身につけるというライフハックを解説していきます。

それではいきましょう!

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「執着心」は捨てなくてもいい

はじめに言っておくと、「執着心」そのものが悪いのではありません。「ものごとに執着する」という心遣いは「こだわる」という信念でもあり、これは仕事や学業などでいい成績を残すためには欠かせません。「プロ意識」と言い換えることもできますよね。

2019年、リチウムイオン二次電池の開発に当たった、旭化成名誉フェローの吉野彰さんもインタビューで執着心の大切さを語っておられます。

しかし、執着心の怖いところは、しばしば「人格や行動に悪影響を与えるほどに」ふくらんでしまうことです。

「執着心優先」の恐ろしさ

そもそもなぜ人は「執着」してしまうのか?

おそらくその根底には「怖さ」があります。「執着心」が強すぎる人の特徴として、自分に自信がなく、なんらかのコンプレックスを抱えている人が多いそうです。「自分はなにかが欠けている」という強迫観念に苦しめられているのかもしれません。

そのため、欠けた部分を埋めるものに執着し、それを手放すことが怖くなってしまう。たとえば、自分は愛されていない、と感じる人は「自分を愛してくれる人」や「周囲に愛されている自分」に執着します。

これが強くなりすぎると、誰にでも体の関係を許すようになったり、過度なダイエットや拒食症に悩まされるようになります。

さらに先鋭化する場合も…

また、これは複雑な事例ですが、その「欠けている部分を補填するもの」が手に入らないとき、逆に「欠けている自分」を先鋭化して、人を支配しようとするケースもあります。

たとえば、貧乏な家で生まれ育ったため「お金を失う」ことが怖くなり、お金に執着してしまう人がいたとします。

ところが、なんらかの理由で、自身が満足できるだけのお金を持つことが叶わなかった場合…

一転してコンプレックスを先鋭化させ、「私がこんなに貧乏で苦しんでいるのは、お前のせいだ!」「貧乏じゃなかったお前に、私の気持ちなんてわかるはずがない!」と相手を脅す行為にでることがあります。

SNSでも、先鋭化したコンプレックスで相手を脅す投稿やコメントがよく見られますよね。「貧乏な人の気持ちも考えてください」みたいな。

このとき、人は無意識のうちにコンプレックスに価値を見いだそうとしていると、精神科医で心理学者のアルフレッド・アドラーは言います。

こうした人たちは、不幸であることによって「特別」であろうとし、不幸であるという一点において、人の上に立とうとします。

古賀史健,岸見一郎『嫌われる勇気』

自らの不幸を武器に、相手を支配しようとする。自分がいかに不幸で、いかに苦しんでいるかを訴えることによって、周囲の人々——たとえば家族や友人——を心配させ、その言動を束縛し、支配しようとしている。

賀史健,岸見一郎『嫌われる勇気』

これもまた、執着心が言動に悪影響を与えている姿といえますね。

だから、「払う」ことが大切

「執着心」は、なにか難しい課題を克服しようとするとき、「粘り強さ」や「強い信念」、「高いプロ意識」となってあなたを支えます。

けれども、つい膨らみ過ぎてしまうと、あっという間に自我を飲み込んでしまいます。

だから、「払う」ことを習慣化する、ということが大切になるわけですね。こだわりを捨てて、フラットな気持ちで見つめ直すと、それまで気づけなかったことに気づかされることだってありますから。

では、どうやって払うのか?

…ということになるんですが、実はこれを人間の努力だけで打ち払うのは、ちょっと難しかったりします。なぜなら、いつのまにか膨らんでいて、気づいたときにはトラブルを引き起こしているのが「執着心」だからです。

なので、僕は神様に頼ります。信仰者なので、ね。

天理教の「おつとめ」

僕が信仰している天理教では、毎日朝と夕方に「おつとめ」という儀礼が行われています。

具体的にはお歌を唱和しながら、手を動かし、そして祈ります。これによって、神様と人間の共同作業で「心の掃除」をするというのが「おつとめ」の役割です。

時間はだいたい15~20分ほど。これは天理教教会本部ほか、全国各地の教会でつとめられており、どなたでも無料で参加できる儀礼なので、気になる方はぜひ見学してみてください。

下記に天理教教会本部のおつとめ時刻表を張っておきます!

毎日、心を掃除して

と、いうわけで、今回は天理教で「心の埃」と教えられている「ほしい」の心遣いについて解説しました。

いつの時代も、人はふくらみすぎた「執着心」に悩まされ、そのたびに宗教の教えや時代ごとの思想に救いを求めています。

たとえば、ブッダはこの世の一切は「諸行無常」であり、「執着心」を捨てることを強く説いたと言います。

近年でも日本では「断捨離ブーム」を経て、「ミニマリズム」「持たない暮らし」が多くの人のライフスタイルを変えました。

あなたは、どのように「執着心」と付き合っていますか?

僕は信仰者として、これからも執着心に飲み込まれることのないように、日々の儀礼で心を掃除して、フラットな気持ちで生きていこうと思います。

もし、執着心によって心が疲れている、と感じたら、ぜひ僕が勤務している教会にお越しください。一緒に「心の埃」を掃除しましょう~!

それではまた、次の記事でお会いしましょう!

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