悩みって、結局「人と比べる」ことから出発しませんか? | 『今日も信仰は続く』

悩みって、結局「人と比べる」ことから出発しませんか?

信仰のある暮らし

こんにちは!『今日も信仰は続く』を運営している桑原信司です。

気軽に信ちゃん(@sh1n0329)って呼んでもらえたら嬉しいな。

今日は「人と比べて」落ち込んでしまう人のために、「どうやったら人と比べて落ち込まなくなるか」について、アドラー心理学を手がかりに書いてみました。

結論についてはやはり「言うは易く行うは難し」なのだけれど、少しでも読んだ人の肩の荷が下りればいいなと思っています。

それではいきましょう!

スポンサーリンク

すべての悩みは人間関係から

「悩み」って、結局は「人と比べる」ことから出発しませんか?

僕はそうです。生まれ育った環境や、持っていた才能、あらゆるものごとを人と比べてはブルーな気分になります。

実は、あの『嫌われる勇気』で一躍有名になった心理学者のアルフレッド・アドラーも、人間が抱える悩みは、すべて対人関係の悩みに帰結すると強調します。

本の内容を、少しご紹介しましょう。

「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」。これはアドラー心理学の根底に流れる概念です。もし、この世界から対人関係がなくなってしまえば、それこそ宇宙のなかにただひとりで、他者がいなくなってしまえば、あらゆる悩みも消え去ってしまうでしょう。

『嫌われる勇気』より

確かに、この世に自分以外の人間がいなければ、コンプレックスの抱きようがありませんね。このことからわかるように、僕たちが抱えている悩みの発信源は「人と比べている」という心理状態が引き金になっているのです。

たとえば、「背が低い」と悩むときは、必ず自分より背が高い人が複数いることが前提条件になります。また、「子供の成績が悪い」と悩むとき、必ず子供より成績のいい子供が複数いるという環境が必要です。

そもそも人って、比較対象がいないと悩むことができないんですね。

ここに気づくことができるかどうかは、充実した暮らしをおくるためには大切なポイントだと思います。

充実した暮らしを目指して

では、アドラー心理学のいう「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」ということに気づいたとして…

僕らはそれまで抱えていた「悩み」に対してどんなアクションをとればいいのでしょうか?

この問いに対しアドラーは ①個人としての自立②社会における協調 が大切だと説いています。

少し難しいので、今日はわかりやすく①個人としての自立 について、かんたんに解説していきますね。

それではいきましょう!

「個人としての自立」とは?

ここでいう「自立」とは、ただ仕事をして収入を得るという金銭的な自立ではありません。社会的・精神的に自立するということです。

もっとわかりやすく言うと「他者の意見ではなく、自分の意志で生きていくこと」となります。

実際に悩んだときに、誰かにアドバイスを求める人も多いでしょう。なかには僕のような信仰者に救いを求める人もいるかもしれません。

そういう他者の意見を参考にしようとする気持ちは、悩みに対して非常に効果的。ときにはアッサリ解決してしまうこともあるでしょう。

しかし、だからといって他者の意見に頼りっきりになるのはよくありません。なぜなら「自分の意志で生きる」こと放棄してしまいかねないからです。

充実した人生を送るためには、過程はどうであれ「最終的に自分の意志で選択する」ことが大切。

そして、僕らは自主性をもって生きていくことではじめて、「人と比べて落ち込む」ことから解放されるんです。

自分の意志で、歩いていこう

たとえば、人に「歩きなさい」と言われた人は、歩くことしかしないでしょう。

だけど、自分から「歩いてみようかな」と思って行動した人はきっと、景色を見て楽しんだり、困っている人を見かけたらそちらを優先したり、走りたくなったときには走り出すと思います。

歩くことを決めたのが自分なら、それ以外のことを決めるのも自分ですから。

また、人に言われて歩いている人は、「あの人の方が、僕よりたくさん歩いている…」とか「あの人に歩けと言われたけど、本当は別にやりたいこともあったのに…」と、人と比べてネガティブな気持ちになることもあります。

でも、自主的に歩き出した人ならきっと「あの人みたいに早く歩いた方が健康に良さそうだ!自分もやってみよう!」とか「今日は他にやりたいことをやろう」と考えるでしょう。

これはもともとの性格がポジティブなのではなく、自主性をもって取り組むからこそチャレンジ精神が心を満たし、結果的に前向きになるという心理が働くわけですね。

この世界は結局、自分の心次第

僕が信仰している天理教では、この世の全ては神様からの借りもので、心だけが自分のものだと教えられます。

そして、その心のありかたひとつで世界の見えかたも変わってくるのだとも教わります。

ですから、今まで承認欲求で心を満たして生きてきた人が、今度は自分の意志で心が満たされるようになったとき、きっと世界が一新したような気持ちになるでしょう。

だって、僕がそうだったから。

「教会の長男として生まれたのだから、信仰しなければならない」という他者の期待(プレッシャー)に押しつぶされそうになりながら生きていたときは、いつもネガティブな感情を抱えていましたが…

それをやめて、「今日も信仰を続けてみよう」という自分の意思で心を満たすようになってからは、僕の信仰のある暮らしはどんどん充実してきたんです。

だから、きっと「人と比べて悩んでる」という人は、「~として、こうあるべきだ」という他人の意見に縛られているのかもしれませんね。

それでも迷ったときは…

僕もこんな仕事をしていますから、たまに相談者から「私はどうしたらいいのでしょうか?」と聞かれることがあります。

なので僕は相手から選択肢を奪わないように「たとえば、こんな考え方もありますよ」「僕ならこうするかもしれませんね」くらいの提案にとどめています。

やはり最終的に選ぶのは、やはり本人でないとね。(鬱病などで選ぶことすら困難な人の場合は例外ですが)

「やる」と「やらされる」では、結果が違うことくらい誰でもわかっていると思うんです。だけどこの世界は、気をつけておかないと結果的に「やらされる」ことの方が多いんですよね。

だからこそ、いつでも自分の意志は大切にしましょう。結果的に他者の意見どおりになったとしても、「最終的には、僕が決めたんだ」という気持ちを持って挑めば、これまでは想像もできなかったような「可能性の広がり」があなたを待っています。

もちろん、迷ったときは尋ねてください。一緒に考えましょう。

もし壁にぶつかって困ったら頼ってください。一緒に突破しましょう!

「人の役にたちたい」のは、信仰のある暮らしで育んだ「僕の意志」ですから。

それでは今日はこのへんで。また次の記事でお会いしましょう!

タイトルとURLをコピーしました