【まとめ】天理教の「朝起き・正直・働き」の教理について、わかりやすく。 | 『今日も信仰は続く』

【まとめ】天理教の「朝起き・正直・働き」の教理について、わかりやすく。

信仰のある暮らし

こんにちは!『今日も信仰は続く』を運営している桑原信司です。

気軽に信ちゃん(@sh1n0329)って呼んでもらえたら嬉しいな。

今日は僕の「信仰のある暮らし」を支える、3つの「具体的な行動指針」について。

以前からちょくちょく書いていましたが、天理教の信仰生活には、大切にすべき3つのポイントがあります。

それが「朝起き・正直・働き」の教え。それぞれがどんな教理なのか、僕はどんなふうに実行しているのか…については、各項目・記事を参考にしていただくとして、今回はそれらを1つのページにまとめてみました!

まだご存じない方や、そもそも天理教の教えを知らないという方のためにも、できるだけわかりやすく解説していきますね。

それではいきましょう!

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「朝起き・正直・働き」の教え

ではまずはじめに、おやさま(天理教の教祖)がこの教えが説かれたエピソードを2つ、ご紹介させていただきますね。

まずは飯降伊蔵という方に、「朝起き・正直・働き」の大切さを説かれたこのお話。

ある時、教祖は、飯降伊蔵に向かって、「伊蔵さん、掌を拡げてごらん。」と、仰せられた。

伊蔵が、仰せ通りに掌を拡げると、教祖は、籾を三粒持って、「これは朝起き、これは正直、これは働きやで。」と、仰せられて、一粒ずつ、伊蔵の掌の上にお載せ下されて、「この三つを、しっかり握って、失わんようにせにゃいかんで。」と、仰せられた。

伊蔵は、生涯この教えを守って通ったのである。

『稿本天理教教祖伝逸話篇』 「二九 三つの宝」より

この三つを、しっかり握って、失わんように」と優しく語られたことから、「朝起き・正直・働き」の大切さが伝わってきますね。

2つめは、先ほどの飯降伊蔵さんの娘である、飯降よしゑさんに対して、「朝起き・正直・働き」の具体的な姿を諭されたお話。

教祖が、飯降よしゑにお聞かせ下されたお話に、「朝起き、正直、働き。朝、起こされるのと、人を起こすのとでは、大きく徳、不徳に分かれるで。陰でよく働き、人を褒めるは正直。聞いて行わないのは、その身が嘘になるで。もう少し、もう少しと、働いた上に働くのは、欲ではなく、真実の働きやで。」と。

『稿本天理教教祖伝逸話篇』 「百十一 朝、起こされるのと」より

おやさまは、飯降伊蔵さんに「朝起き・正直・働き」の大切さを、娘のよしゑさんには「朝起き・正直・働き」の具体的な姿を、それぞれ諭されたというわけです。

これが「朝起き・正直・働き」の教理の根幹となるわけですが、ここからは、僕がこのエピソードからどんなヒントをもらって、どんなふうに暮らしに落とし込んでいるかをご紹介していきますね~!

「朝起き」のある暮らし

まずはじめの「朝起き」について。

ここで大切になってくるのは「早起き」との違いです。

先ほど引用した、おやさまと飯降よしゑさんのお話では「朝、起こされるのと、人を起こすのとでは、大きく徳、不徳に分かれるで。」と諭されていましたよね?

つまり、どれだけ朝早くに起きたとしても、やはり人に起こしてもらっているようでは「徳」にはならないよ、と戒められているのです。

じゃあ、寝ている人を起こしまくればええんか!? というと…うーん、そんな狭い枠の話ではないと思うんですよね(笑)

きっと大切なのは朝、目が覚めたその瞬間から「思いやり」に満ちた日々を送ること。だって僕ら、仲良く助けあうために生きていますからね。

詳しくはこちらの記事で!

「正直」のある暮らし

次は「正直」について。

ここで注意したいのは、僕らが普段使っている「正直【honesty】」とは少し意味が違うという点です(!)

これ、ちょっと驚きですよね? まさか幕末と令和で、「正直」という言葉の意味に、こんな壮大なジェネレーションギャップがあるなんて(笑)

では、ここでも飯降よしゑさんとのお話から、本質を探っていきましょう。

おやさまは「正直」の具体的な姿として「陰でよく働き、人を褒めるは正直。聞いて行わないのは、その身が嘘になるで。」と諭されました。

つまり、人の見ていないところでもしっかり働き、当人のいないところでも「○○さんってマジで素敵だなって思うんですよ。このあいだも…」と褒めていく。

それは、嘘をつかないという消極的な「正直」ではなく、もっと積極的な「正直」と言えるでしょう。

これができるようになれば、自身が所属している社会はより円滑に回っていくし、今まで気がつかなかった「他人の陰の努力」に気づき、感謝の気持ちで溢れた日々を過ごすことができます。

詳しくはこの記事で。

「働き」のある暮らし

チームワーク

最後は「働き」について。

これも誤解されやすいのですが、ただ「文句言わずに汗水流して働け!」といったブラック企業の上司が振りかざしてきそうな言葉ではありません。(うっ、頭が…!)

その本質は、「誰のために・なんのために」働きかけていくのか、というところにあります。

「働くというのは、はたはたの者を楽にするから、はたらく(註、 側楽・ハタラク)と言うのや。」


稿本天理教教祖伝逸話篇 九七 働く手は

「はたはた」という言葉は現代ではあまり使われなくなった言葉で、漢字にすれば「傍々」となります。傍(はた)とは周囲の人、という意味で「はたから見れば」とか「はた迷惑」などの使い方があります。

おやさまはこの「傍々」つまり、側にいる人たちを「楽」にさせてあげられる行為のことを「はたらく」だと教えてくださいました。

だから、そこに賃金が発生しなくてもいいんです。家事や育児もそうだし、ボランティア活動だって「側にいる人に楽をさせてあげられている」でしょ?

詳しくは、こちらの記事で。

まわりの人の、笑顔を増やしていく

さて、ここまで「朝起き・正直・働き」について、過去記事を中心にまとめてみましたが、いかがでしたでしょうか?

朝、目が覚めたときから「思いやり」の心で過ごし、(朝起き)

人の見ていないところでもよく働き、陰で人を褒め、(正直)

側にいる人たちには、楽をさせてあげる。(働き)

「この三つを、しっかり握って、失わんようにせにゃいかんで。」と、おやさまは信仰者に対して教えて下さったのでした。

僕自身、100%実践できているか?といわれると苦しい部分があるのですが…どれも周りの人の笑顔を増やす生き方で、自分が所属している社会の雰囲気をがらりと変えてしまうくらいの力を持っています。

50%くらいしか実践できていない僕が実感するくらいですから、間違いありません(笑)

そうそう。こんな暮らしをしていると、たまに「よくそこまで頑張れるねぇ」と不思議がられることがあるのですが…

にち/\に心つくしたものだねを 神がたしかにうけとりている

(日々に心尽くした物種を 神が確かに受け取っている)

しんぢつに神のうけとるものだねわ いつになりてもくさるめわなし

(真実に神の受け取る物種は いつになっても腐る芽は無し)

たん/\とこのものだねがはへたなら これまつだいのこふきなるそや

(だんだんとこの物種が生えたなら これ末代の古記なるぞや)

おふでさき号外  ※()内は筆者

僕が心を尽くして「朝起き・正直・働き」を実行し誰かに喜んでもらえたのなら、それは神様が受け取ってくださる。そう思うと、むしろもっと誰かに喜んでほしいなって思えてくるのです。

しかも、末代の古記、ってなんか「そして伝説へ…」みたいでかっこよくないですか?笑

ロトの勇者として…ではなく、天理教の信者として、明日からも「朝起き・正直・働き」を実践して、よりよい地域社会を築いていけたら、と思います。

それではっ!

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