僕はそれが永遠の別れだとしても、必ず「また会いましょう」と告げます|天理教の死生観について

僕はそれが永遠の別れだとしても「また会いましょう」と告げる。|天理教の死生観について

信仰のある暮らし

こんにちは!『今日も信仰は続く』をご覧いただきありがとうございます。桑原信司です。

気軽に信ちゃん(@shin0329)って覚えてもらえたら嬉しいな。

先日、母親の12回目の命日を迎えました。

時がたつのは早いものですね。もうさすがに寂しいと感じることもほとんどなくなりまして、むしろ今は「早く会えないかな」とすら思っています。

明るくて、ちゃっかりもので、あの人のように優しい人に。

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人は死んだらどこへ行く?

人は死んだら、いったいどこへ行くのですか?

大切な人との永遠の別れに際したとき、ふと考えたことがある方は多いのではないでしょうか?

命は限りあるもの。頭ではそうわかっていても、故人との別れはやはり辛いもの。そんなやりきれない悲しみから、僕らは死後の世界に想いを馳せたりします。

天国はきっとこんな素敵なところ、極楽浄土はきっとこんな華やかなところ。…だからあの人もきっと今ごろは笑ってる。

キリスト教や仏教だとこのように説かれ、これは今も多くの人に支持されています。特に「天国」の概念はメディアでもよく「天国からのメッセージ」などといった言葉で使われるくらい。

それだけ、この言葉がたくさんの人の心を救ってきたのでしょう。

ところが、天理教では死後の世界の考え方が少し違います。短く説明するならば「あの世」の概念がほとんどないのです。では、亡くなった故人の魂はどこに行くのでしょうか?

天理教の死生観

天理教では、亡くなった魂は身体から抜けて親神様のもとへ帰り、そこで抱きしめられるそうです。そして、魂はやがてこの世へ生まれ変わってくる、と教えられました。

このことから天理教では、人が亡くなることを「(この世への)出直し」と表現したりします。

天国や地獄を信仰している他の宗教との決定的な違いは、この「生まれ変わり」を信じている点にあると言えます。

生まれ変わりを、信じてるから

なので、タイトルにもある「人は死んだらどこへ行くのか?」という問いかけには「この世にまた生まれ変わってくるよ」と答えることが信仰者である僕なりの表現なのです。

依然、おじいちゃんを亡くして悲しみに暮れていたある男の子に同じような質問をされたので、

「きっとこの世に生まれ変わってくるよ。もしかしたら君がおじいちゃんになったとき、孫として生まれ変わってくるかも。それは神様が決めるからわからないけど、君がおじいちゃんのような立派な大人になればきっと神様が巡り合わせてくれるよ。」

と、答えさせていただきました。

同じように祖父を亡くした僕自身にも、本当にそうであってほしいと言い聞かせるように。

まわるまわるよ時代はまわる

喜び悲しみくり返し

今日は別れた恋人たちも

生まれ変わって めぐりあうよ

中島みゆき / 時代
時代 -ライヴ2010~11- (東京国際フォーラムAより)

僕はどんな出会いにも感謝し、またどんな別れであっても「いつか必ず、また会いましょう」と告げます。

今世で出会った人々の中には、前世でそんな約束を交わした相手がいるのかもしれませんから。

そんな気持ちを胸に、今日も信仰は続きます。

それではっ!

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天理教で「生きる意味」はどのように教えられているか、わかりやすく書いた記事です。

死生観と合わせて、読んでいただけたら嬉しいです。

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